
画像が無いのが心苦しいが、189系で同じN編成を使っているのでお許し頂きたい
そんな元特急「あさま」編成を充当し、長野-直江津間を結ぶ普通列車「妙高」号も、同区間が3セク化される事から
トワイライトエクスプレス等の影に隠れながらもその役目から離れようとしている
俺はここ数年、18きっぷと信越方面の利用が比較的乏しくなった事から
彼との縁も薄くなったまま別れの時が来てしまった
(´;ェ;`)ウゥ・・・
18きっぷだけが頼りだった若かりし頃はやはり良くお世話になったものだった
同じ路線を行くのでも設備の違う列車で行けば気分も違う
115系で行くのが単なる鈍行旅気分であるのに対し、この「妙高」で行くのはちょっとしたローカル特急か、
往時の特急「あさま」のような気分だった
リクライニングシートを装備した特急車両だけに指定席の設定もあったが、果たして売れたのかどうか

そんなN編成が「ムーンライト信州」で新宿-白馬をも結んでいるのだから、N編成は正に八面六臂の活躍と言えよう
そんな特急車両が「妙高」では二本木でスイッチバックとか中々見所も多い

また、途中の新井からは快速「くびき野」先生に乗り継いで長岡、新潟へと乗り継げ、
長野-新潟を特急車両で行く事も可能だった
その何もかもは信越本線の3セク化によって無きものにされる
幸い189系N編成は残るらしいものの、その行方は何処へ行くのだろう
長野-新潟もまた不便化される
その辺は後日「くびき野」先生とともに喋ろうと思う
今回はここまで
ではまた~
(´・ω・`)ノシ
- 2015/02/26(木) 00:23:47|
- 2015.3.14 ダイヤ改悪
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鉄道ジャーナル 1976.1月号鉄道ジャーナル社
ブクオフ¥108シリーズです

因みに俺は産まれてません
取敢えずというか、特急尽くしな気がする1冊
トップから「特急にっぽん縦断(前編)」と題して特急を乗り尽くす
西鹿児島-481系,有明2号→八代
-キハ82,おおよど→宮崎
-24系,彗星2号→岡山
-キハ181,やくも1号→米子
-キハ82,はまかぜ2号→姫路
-0系,こだま394号→新大阪・大阪
-20系,つるぎ→長岡
-183系,とき1号→高崎
-489系,白山1号→長野
…前半だけで凄い乗り尽し
本文執筆は故・種村直樹先生
当時は故障が多く短命と聞いたDD54が現役で活躍中だった

「国鉄の新しい車両(旅客車)」では
381、485、583、キハ181、24系25形を解説
鉄道としては今日より余程華やかに思える
「特別取材 振子電車は走る!」
は381系しなの5号の乗り心地等を当時の竹島編集長、高田隆雄、山之内秀一郎の三氏が採点
狭いシートピッチや簡易リクライニングシート、窓キセ無装に張り出したダクト等、乗り心地には辛い採点が降された

引退間際の今日に至るまでに改良を重ね、乗り心地の改善を重ねてきたことが寧ろ覗えた

「快適性をきめる要素」として
空間の大きさ、腰掛、寝台、空気調和(冷房、暖房、換気、湿度)、照明、騒音防止、インテリやデザイン(室内装飾)
付帯設備、エンタテイメント
としていて、これらは今でも変わらず問われる命題だろう
これらの進歩は技術の進歩であり、文化形成の一端にもなるだろう
座席や寝台の変遷を捉えればそれが見えてくると思う

国鉄型がまだ残る今日を嬉しく幸運に思う
彼らがまだ生き残っている今のうちに、その歴史の一端でも楽しめるだけ楽しみたいと改めて思う

今回はこんなところだろうか
今回はここまで
ではまた~
(´・ω・`)ノシ
- 2015/02/25(水) 00:11:18|
- 書籍
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