
急行「能登」の指定券・急行券があったのを思い出しました
この記事を書いている時点では大体10年前のようです
自分が知っている「能登」は上野-金沢を結んだ夜行急行で、寝台特急「北陸」とワンセット、みたいな捉えられ方があったようです
実際、この2列車が利用できるフリーきっぷもあったようです
列車的には下りだと、高崎に夜行快速「ムーンライトえちご」が先着、
向かいのホームに「能登」が後着、先発して行くシーンが一つの名物だったかと
定期時代は489系で運行され、その時代に利用したことはありませんでした

臨時化され、それまで「ムーンライトえちご」に充当されていた485系6両K編成を臨時「能登」に充当し、
「ムーンライトえちご」には幕張の、たまに大宮の183系が回されました
今回のきっぷはその臨時時代のモノで、列車は全車指定席でした
当時はJR東日本の「ウィークエンドパス」での旅だったので、直江津から先はJR西日本という事で、
早朝の直江津で暫く過ごすことになりました
当時も結構キツい感じだったので、今思うととんでもなくキツいことしてたんだなー、とか思いました
しかし、上野-直江津がご覧の料金
急行という存在がいかにリーズナブルだったか、と
ただ、その後どういう行程と旅だったかは覚えていませんw
何してたんだかw
今回はここまで
ではまた~
(´・ω・`)ノシ
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- 2021/05/04(火) 10:00:00|
- 切符
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| コメント:2
この 5月も、宜しくお願い致します。急行「能登」は懐かしの列車名ですね。
仰る様に 末期は 485or489系 ECでの運転でしたが、その二代前は軽量を含む
旧客編成でした。
拙者、学生時分に 東京から名古屋まで、しばしば一旦高崎➡上越➡信越➡北陸➡東海道と わざと迂回して往来した記憶がありまして。大抵 B寝台、確保でき
なかった一度などはグリーン車だった記憶も。
ご存知の様に、前者はスハネ16、後者はスロ62でした。その後14系PCの座席+
寝台混成を経て、冒頭の ECへと移り変わった様に記憶します。経路も旧客時代
と違って、一度は信越・碓氷越えをする様になった後、末期は元の上越経由に戻
ったのでは?とまれ、良い記憶は事実です。
- URL |
- 2021/05/04(火) 23:24:17 |
- HAKASE(jnkt32) #-
- [ 編集 ]
客車で寝台やグリーン車とは贅沢ー、とは思いながらも羨ましくもありますね
しかも一時は碓氷峠越えなど、列車の変遷を直に味わっているベテランさんの経験談には感嘆させられています
しかも東京-名古屋の大回り
やっぱり贅沢で羨ましいですねw
コメントさんきゅです
ではまた~
(´・ω・`)ノシ
- URL |
- 2021/05/05(水) 11:00:47 |
- カサレリアの種馬 #-
- [ 編集 ]